手ぶらで仕事する

 

 

どうも、東京都江戸川区で

社会保険労務士(社労士)をしています

人事コンサルタント・年金コンサルタントの

大園要です。

 

荷物を持たず、手ぶらで歩く事について、

興味があるという意見がありましたので、

以前の書いたものの補完を兼ねて

改めて説明したいと思いました。

 

手ぶらで歩く人には

2種類のタイプがあると

個人的に思っています。

 

一つは、ミニマリストと呼ばれる、

自分の所持品を最低限(ミニマル)に

抑えようとするタイプ。

もう一つは、テクノロジー系オタクなど

ガジェット好きという

タイプになります。

 

ミニマリスト型は、

家の所持品を少なくしていく過程の中で、

外出時の持ち物にも関心がいって、

それが減っていき、

遂には手ぶらになりました。というパターン。

 

ガジェット好き型は、

テクノロジーの恩恵を突き詰めていく過程で、

外出時の持ち物を

テクノロジーで代替させて、

遂には手ぶらで外出できる様になりました。

というパターン。

 

ただ、どちらのタイプも

手ぶらで動ける様になるためには、

共通している過程(突き詰め)が

あると思っています。

それは、テクノロジーの恩恵を

最大限に高めて使用し尽くすことにあると

私は思っています。

 

外出時の手ぶらなのか

バッグが必要になるかの分かれ目は、

化粧ポーチと財布、

筆記用具・手帳などの仕事道具がある

と思いますが、化粧ポーチを除いては、

スマホ内等にある標準アプリで

代替が可能になっています。

スマホで考えた場合は、

財布に関しては、スマホ決済に

移行することで、

財布を持ち歩く必要性がなくなります。

筆記用具は、手を使ったフリック入力や

音声入力でメモを残すことができます。

手帳に関しては、カレンダーアプリで、

to doリストはリマインダーといった

アプリで代替が可能になっています。

 

これらをクリアできる事で、

手ぶらでも外を歩いて

不便を感じることがなくなります。

それでいて身軽に快適に

過ごせる人になれます。

 

私の場合は、

財布に関しては、Apple Watchで

手帳類に関しては、iPhoneで

代替が可能になり、

さらにデジタルに切り替えた事で

より便利になりました。

 

手ぶらに関しては、時期の問題も出てきます。

 

仕事が溜まっていて、

移動しながらも、

生産性を上げた仕事が必須になる場合は、

Macの持ち歩きは必須になりますし。

 

花粉症のシーズンだと

マスクや目薬類が外出時に必須になると

中々実現のハードルは上がると思います。

 

私の場合は、仕事ですね。

唯一Macが必要になる仕事が

役所の申請書類の作成業務になりますが、

この申請書類に関して作成したデータを書類に編集

(コピペしてフォントサイズなどの調整を施す)

作業のみが、iPhoneで代用が不可能で、

Macの専売特許になっています。

 

完成した書類の中身の確認だけなら

iPhoneで十分見る事ができますが、

調整作業となるとキーボードでの作業と

キーボードのカーソルで文字バランスを

調整するパソコン特有の操作が欠かせません。

 

この仕事が無い時は

完全に仕事してようが

遊んでいようが手ぶらになります。

 

使い分けが必要になっている様に思います。

 

惰性で毎日カバンを持ち続け、

疲れた顔で毎朝通勤電車に乗っているのは、

正直もったいない事だと思います。

 

日常の自分の使い方を

日々見返す、当たり前の作業の

繰り返しで、突飛な事だと思っても

恐れず、勇気を持って変化し、

対応する事にあると、

個人的に思っていますよ。

 

では、この辺で

 

 

新型コロナについて

 

 

どうも、東京都江戸川区で

社会保険労務士(社労士)をしています

人事コンサルタント・年金コンサルタントの

大園要です。

 

新型コロナウイルスの正式名称が

COVID―19と決まったそうですね。

沢山の犠牲者と苦しんでいる患者がいます。

 

一刻も早く収束に向かうことを願って止みません。

一人でも、多くの方が助かります様に。

 

しかし、一方でこんなことも考えてしまいます。

元々、このコロナも、

中国の奥地で植物など中に寄生して

平和に共存生活を

営んでいたのかもしれないのかなぁと。

それが、人類の開拓などに押しやられた

人に近い生物に接触してしまうことで

爆発的な感染の下地ができてしまい、

さらに、実際に人間と接触する事で

本当に爆発的に感染してしまう。

こんな風にも考えられます。

 

そう考えると、

収束にようやく向かいそうな

オーストラリアの森林火災も含めて、

自然の大切さについて考え、

もっと尊厳をもって

接する事が大切なのではないか?

と思う今日この頃です。